Vol.2 沖永良部島とジャガイモと音楽の話。
その人に初めて会ったのは、夏の暑い日、沖縄・慶良間諸島のホテルであった。毎年、大自然に魅せられてスノーケルに行く。慶良間の海はことの他美しく魚や海亀と共に愛しいリラックスの地である。
その人とはホテルの朝食で出会った。さりげない話しをしているうちに、互いの話しとなり簡単な自己紹介をした。K氏と名乗ったその方は住まいは沖永良部島、農業でジャガイモを作っている。私はジャガイモは子供の頃からの好物で、島と海が好きな私には大いに興味ある話しだった。
実は以前、映画に携わっている時に、沖永良部島にはいささか縁があった。作品のクライマックスが洞窟内で進む。監督が強いこだわりをみせ、その準備に撮影班は全国の洞窟のロケハンに周る。カメラに収め続々とスタッフが帰り、撮影所の部屋にはアングル別の様々な洞窟内写真が貼られた。丸で洞窟の博物館の趣きである。その中で強い印象となったのが沖永良部島である。話しの過程でK氏が大の音楽好きだと知った。普段、仕事で人との出会いが多い私だが、短い時間ながらK氏はとても身近な存在に感じられた。夕方、海から帰ってくるとK氏は既に帰途に着いていて姿は無かった。
翌年の冬、凍てつくように寒い2月の朝である。自宅に荷物が届けられた。箱を開けるとジャガイモがぎっしり詰まっていた。K氏である。新聞紙で区分され、それぞれ種類別になっている。掘り起こしたばかりの採れたてだった。直ぐに茹でて試食する。これが未経験のソフトでデリシャスな美味さであった。即、K氏にお礼の電話をする。これがきっかけとなり、私は夏に島を訪問することになる。その時はこんなに長い交友になり、島に通うとは全く想像もしていない。
あの岬の絶景に立つまでは。
沖永良部島に行くには飛行機の乗り継ぎか、飛行機と船の二つがある。後者は沖縄・那覇港から7時間10分を要する。海好きの私は船を選んだ。朝7時の出航だから前夜に那覇に宿泊し、早朝5時過ぎにホテルを出た。大きなフェリーである。長い乗船時間も甲板に上がりヘッドホンでJAZZを聴いたり、サロンで本をひろげ寛いだりする内に和泊港に着いた。K氏が迎えに来て車で島の名所を案内してくれた。海の名景の連続だったが、最も強い感動は断崖絶壁51メートルの高さで海上に聳える田皆岬(タミナ)であった。珊瑚礁が隆起した島と言われる。桁違いに大きな断崖は一切の柵がない。突端まで行くと足が竦むが、そこから先の東シナ海の波状は水平線で力強い。目に滲みる蒼さであった。普通断崖ならば崖の上も岩場である。だがタミナは一面に緑の草原であった。この蒼と緑のコントラストの美しさは海好きの私を何度も呼ぶことになる。いつもは北へ帰る足がいつしか南に帰るようになった。次回来る時はタミナに合った音楽を携えようとなる。
2回目の訪問の際に、私はタミナで聴きたい音楽を選んだ。私の専門のJAZZだけでは無く思い付くジャンルからである。このセレクトは旅支度の中で、ことの他楽しい作業であった。何しろ私自身のタミナになる可能性がある。人は好きな名景に出会うと、ここにカフェがあったらいいな、と願う。美味いコーヒーとコクのある音楽。私はいつも淹れたてのコーヒーをポットに詰め、ヘッドホンか携帯用スピーカーを持参する。
K氏は午後14:10分港に着くと既に待っていて、車で海の絶景を周ってくれる。海好きにはこんなにありがたいことはない。陽が沈む時間に合わせタミナに着いた。雄大な東シナ海を陽はオレンジ・レッドに染めている。サンセットは大好きでハワイを始め内外にこだわりの地がある。だがタミナはそのいずれも凌駕する美しさだった。このサンセットに合わせCreedence Clearwater Revival(C.C.R)のI Put A Spell On You をヘッドホンにかけた。1968年のロックである。CCRはヴォーカル、2本のギター、ベース、ドラムスの4人編成のバンドである。とりわけヴォーカルでリードギターのジョン・フォガテイのワンマン・バンドと言っても良い。ブルースやR&Bの影響を持つジョンのワイルドでソウルフルなヴォーカルは想像以上にタミナの夕陽とマッチした。2本のギターとベースのダイナミックな音のうねりが、タミナに押し寄せるオレンジ色の荒波とシンクロし未体験の感動であった。こうした時の音楽体験は仕事を超えて私的な至福時間である。因みにこの曲に2本のトランペットを入れJAZZにアレンジしてライブをやったらどうなるか。そのヒントもタミナから得たものである。
CCRは僅か4年間で解散した。私はその最終年である 1972年2月に来日した武道館ライブに行っている。まさか解散とは思いも依らず実に貴重なライブであった。だがタミナの大自然で聞いたCCRは武道館で聴いたライブより遥かに感動的であった。この曲はディープである。その深みがタミナの圧倒的形状で増幅された感があった。
CCRはプラウド・メリー、スージーQ、Have you Ever Seen The Rain 等活動期間の短さに対してヒット曲が多い。だが私はこのI Put A Spell On Youが何故か大好きである。この曲はニーナ・シモンもカヴァーしている。聴き比べも楽しいものだ。因みにジョン・フォガテイは今でも活動していて、この6月もアメリカの各地で連日のようにライブを行う。7月にはヨーロッパ・ツアーも計画中らしく、興味ある方は現地に向かうのも良い。
島の某日。
K氏が島でライブがあると言う。それは行こうとなり会場のカフェに向かった。民家を改造したような喫茶店で、既に並べられた椅子に30名近くの老若男女が座っていた。暫くして店主と思われるMCの女性が歌い手の紹介を始める。若い女性の歌い手が数曲ずつアカペラで歌唱した。始めの歌い手は島伝承の島唄で、透明感のある声でスローに歌う。このゆったり感が実に良い。次の歌い手は童謡主体であった。皆、清冽な声で時間と共に気が和んでくる。終わる頃には一様に微笑みが出て空気が変わる。丸で朗読会のような歌唱会であったが、こんなにも心が伝わるライブはあまりない。島の人々の心を歌で繋いでいる。原点の音楽もまたいいものだ。外に出るとタミナから吹いてくる海風が心地良い。私の幸せ時間はさりげなくやってきて、風のように過ぎて行く。
某日。
今日はひとりで海に行こうと思い、ホテルの玄関口に数台あった自転車をレンタルした。島は緩いながら長い坂が続く。私はヘッドホンでJAZZを聴きながら、暫く自転車を進めた。だがこのペダルが何とも重い。降りて見てみると潮風の影響なのか、錆びている。再度ペダルを踏んではみるものの丸でジムのきついトレーニング状態である。道は直線に伸びていたが右側はサトウキビ畑、左側は雑木林がが続く。私は雑木林の中に自転車を置き、歩き出した。延々と40分くらい歩いて、ようやく左に海が見えてきた。ひと苦労して海辺に辿り着く。蒼い海と波の音がいつもより心地よい。気が付いて時計を見ると2時間を過ぎていた。帰りは雑木林から自転車を転がし黙々と歩く。ホテルに戻り自転車の鍵をフロント女子に渡す。『あの自転車、乗ったことある?』と聞いたら、笑顔で『いいえ』と返ってきた。
あの自転車は、その後どうなったであろうか。
某日。
K氏がコーヒーを飲みに行きましょうと言う。丘の上の道を車で暫く走るとポツンとロッジ風の建物が見えてきた。背の高い夏草がそよいでいる。崖の上のカフェだった。誰も客はいない。コーヒーを飲みながら音楽談義が進む。K氏はJAZZのみならずクラッシックの造詣も深い。私は店主の女性に『サーターアンダーギー、ありますか?』と聞いてみる。『今はないが30分位待てる?』と言われ、待つことにした。沖縄や奄美に伝わる揚げ菓子で、砂糖が付いたドーナツである。同地では縁起の良い菓子で祝い事にも振る舞われる菓子だ。店によっては地元産の黒糖を使うところもある。K氏が海を見ましょうとなり、店外の崖上にでて雄大な蒼を眺める。吹き上げてくる風が気持ち良い。2月にはクジラの親子も見れるという。目の良いK氏は海亀を発見する。店内に戻ると笑顔の店主が揚げたての菓子を持ってきた。実に美味しい、島の楽しみである。
後年、K氏は自宅の庭に音楽専用の別棟を建てた。クラッシックに強いオーデイオ器機で音量を上げても外に漏れない。島に行くと夜はここで音楽三昧で、毎夜ホテルには午前様帰りである。私は訪問時、関わったCDアルバムにK氏の名前入りでミュージシャンにサインを入れてもらい持参する。灯が灯る別棟の外は真っ暗だが、夜空に無数の星が煌めいている。
今頃、浜に行くと海は星あかりだろうか。
自宅での朝食は厚切りバタートースト、苦味、酸味、甘さのバランスで作るハウス・ブレンド・コーヒー、ハム、レタス、ボイルドエッグ、それに茹でたての沖永良部産ジャガイモ・シンシアがテーブルに並ぶ。凡そ1951キロの気の遠くなる距離であるが、私と沖永良部島はいつも身近に繋がっている。今朝のタミナは爽やかであろうか、そう浮かびながらコーヒーが進む。
ヒコ・ウォーケン(YASUHIKO TAKAHASHI)
ライフスタイル デザイナー
プロフィール:
ファッション、流通マーケティング分析、企画、音楽プロデュース、映像、販促、メデイア情報、講演を駆使し、ライフ・スタイルデザインを軸に多くの企業コンサルティングに携わっている。独自の感性、レーダー力、分析力で唯一無二のビジネスに定評が集まる。特に自らの持論である『文化情報経済』は常に時代を先取し、ビジネス・トレンドを創造し続け、今にある。現在は日本版【クオリティー・オブ・ライフ】の創造発信と体験型ライフデザインに力を注ぎ、精度の高い時間創造を提起している。
マデイソンコンサルティング創業者。