Vol.4 ニーナ・シモン。我が心に魂を植え付けた、偉大なJAZZシンガー。Byヒコ・ウォーケン
第一章 第1章 波乱に満ちた人生。
革新的、煌めきと才に満ちたJAZZシンガー、ニーナ・シモン。
珍しく半日ほど自由な時間が取れる日がやってきた。ところがガラス戸の部屋の向こうは雨。カフェにでも行って2冊の本を読もうと意を決めていたが、出鼻を挫かれた。見ると大粒の雨がガラス戸を濡らし始めた。透明な滴が光りながら落ちて行く。
仕方なく外は取りやめて、書斎でコーヒーを沸かすことにした。こういう朝は香りのいいフルーティーなコーヒーが最適だ。コーヒー棚を見渡してグアテマラの瓶を取り、少しばかりブラジルを加えてブレンドする事にした。沸騰から少し覚ましてゆっくりとドリップする。柔らかで果実のような香りが部屋の空気を変えて行く。
本を広げながらやはり音楽がないと雨の日は寂しい。こうした日はニーナ・シモンに限るのだ。
1933年、アメリカ・ノースカロライナ生まれ。史実によると4歳からピアノを弾き始め、メキメキと才能を伸ばした。少女は音楽一筋、将来の多感な夢を見る。やがて希望に萌えカーテイス音楽学校へ進学を目指す。才能豊かな彼女を支えてきた周囲の人々も合格を信じていた。
ところが予想だにしない『不合格』の通知が届く。その理由は黒人であった差別と言われている。ニーナの夢と希望は暗転。若くして深い絶望感に囚われる。
その後、バーでピアノを弾く生活が始まり厳しい日々が続いた。苦労を重ねながら、『アイ・ラブ・ユー・ポーギー』がヒット。そこから芽が出て多くのヒット作を世に出した。
私が初めてニーナを聴いたのは1966年の同作であった。正に革新的、こんなシンガーがいたのか、頭をガツンと打たれた感があった。
ニーナはその天性の才能を発揮し、JAZZだけでなくフォーク、ブルース、R&B、ゴスペルもこなす。勿論ピアニストでもあり、時にLiveで弾き語りもあった。
これらの様々な音楽ジャンルをこなしながらも、聞き終えれば全てがニーナらしさに収斂される。これが才人たる由縁である。
ニーナの大ヒット曲に『Don’t Let Me Be Misunderstood』がある。言わずと知れた世界中で大ヒットした曲で、いろんなシンガーがカバーしている。ニーナはこのオリジナルを『New World Coming 』というアルバムでアレンジしLive録音で歌っているが、これがジャジーで凄みさえ感じるヴォーカルである。こうして同じ曲を比較して聴くと、その才能に圧倒される思いだ。
以降のアルバム作品は『アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー』、『レット・イット・オール・アウト』、『シングス・ザ・ブルース』、『ボルチモア』。Live盤も数多い。『アット・ザ・ヴィレッジ・ゲート』、『ニーナ・シモン・アット・カーネギー・ホール』、『ブラック・ゴールド』など豊かな才能が溢れてやまない。
ここでは全てを述べることができない。つまり数が多すぎてそれだけ原稿量が尽きるのだ。
ニーナを語る上で大切な事は、やはり黒人差別に抗議し、本心から向き合い黒人公民権運動や市民権運動の活動にも参加した。70年に離婚.リベリアからフランスに渡る。
暫くは音楽から離れていたが、シャネルのCM曲『マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー』で復活、完全復帰した。
ところがその後、躁うつ病になり、病に苦しみながら活動を続けたが、癌を発症し闘病の末、2003年4月21日にフランスの自宅で逝去した。享年70歳。
希望と挫折、貧困と栄光、黒人公民権運動、多彩な才能、離婚と孤独、そして異国での復活、病い、そして死⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
ニーナ・シモンのあまりにもドラマティックな人生を知り、そのバリエーションと才に溢れた歌を聴く時、胸迫る思いに駆られるのは私だけではない筈だ。
第二章 私を勇気づけたニーナの尊厳。
クリエイティブ・ワーク。いみじくも私が選んだ道だった。トレンドは未知の予見から形成される。人には見えなくともクリエイターは先を感知する。つまり見えない人に次はこうなるとフォーカスし具体的な像と行程を示す。初めから視点が違うので容易ではない。人に理解されがたいのもある意味当然なのである。
ヴィジュアルやワード、多種多様なコミュニケーションを通して相互が一体感となり、成果が出た時の達成感は計り知れない。その目標とチャレンジの繰り返しである。
人の涙も多種多様である。
悔し涙、耐える涙、絶望感の涙、悲しみの涙、別れの涙、感動の涙、歓喜の涙⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
クリエイティブな生き方には幾つもの高い壁が連続する。時に涙を浮かべることもある。自らが壁に当たった時、私はその都度ニーナを聴いた。そして沸々と反骨心が高まって行った。そうだ、ニーナに較べたら自分なんかの荷は軽い。ニーナは黒人であるだけで社会に拒絶された。自分は存在を拒否されていない。もう一度立ち上がってやる。ボクサーのように。
そしていつしか『断られてから仕事は始まる』の心境に到る。
私に力を与えたその曲は『Feeling Good』、特にその一節である。
It’s a new dawn
It’s a new day
It’s a new life
For me
And I’m feeling good
夜が明けて
新しい一日が始まる
私は私の新しい人生を生きる。
最高の気分だ!
人間性さえも拒否された絶望、苦しみ、悲しみ。孤独を超えて振り絞る力。そうした重い荷を背負って、尚且つ《Feeling Good!》と歌唱するニーナの心に打たれる。ニーナに較べ私の壁なんて比較にならない。私も《Feeling Good!》の心境にならねば、とやってきた。そして幾つもの達成感を得ながら、未だニーナの足元にも及ばない自分が居る。
雨の粒が更にガラス戸に滴り、止みそうにもない。テーブルの上で冷めたコーヒーを含み乍ら、スピーカーから《Feeling Good》が流れている。ラストのスキャット、アドリブが良い。
年を重ねるごとにこの曲への想いは異なる。されど今が自然体でニーナ・シモンに対峙できるリスナーになったと想う。
JAZZはいい。そしてあまりにも深い。この広い世の中にJAZZに生かされた人生もあったのだ。
Nina Simon, There is still an eternal shine!
ヒコ・ウォーケン(YASUHIKO TAKAHASHI)
ライフスタイル デザイナー
プロフィール:
ファッション、流通マーケティング分析、企画、音楽プロデュース、映像、販促、メデイア情報、講演を駆使し、ライフ・スタイルデザインを軸に多くの企業コンサルティングに携わっている。独自の感性、レーダー力、分析力で唯一無二のビジネスに定評が集まる。特に自らの持論である『文化情報経済』は常に時代を先取し、ビジネス・トレンドを創造し続け、今にある。現在は日本版【クオリティー・オブ・ライフ】の創造発信と体験型ライフデザインに力を注ぎ、精度の高い時間創造を提起している。
マデイソンコンサルティング創業者。