Vol.3 あなたは47年変わらずに愛し続ける音楽がありますか? 私にはある。By ヒコ・ウォーケン
Michael Franks
《Antonio’s song(The Rainbow)》
第一章 光が眩しい昼下がりのカフェで。
その日はミュージシャンとの打ち合わせの日であった。大きくて綺麗に磨かれたガラスの窓から陽が燦々と射している。天井の高いカフェは開放感があって気持ちいい。今日討議するアジェンダの事前纏めに、30分ほど早く着いたのだ。ノートを取り出しコーヒーをオーダー。店内にはリラックス・ムードのスローボッサの曲が流れていた。
するといきなりテンポとリズムのいいパーカッションが聞こえてきた。私は思わず『えッ、アントニオ⁉️』と心の内がときめいた。心に光が射しこんだ感覚だった。快調なリズムに乗ってマイケルのヴォーカルが囁くように店内の空気を変える。一瞬、カフェがお洒落になったような気がする。私は目を瞑り、メロディに委ねた。
そうしている内に『や〜、ヒコさん!』と顔馴染みのピアニストの声が聞こえてきた。笑顔が見え、一瞬、我に返る。明るい午後に短くていい夢を見た気分であった。
第二章 1977年、夏のあの日。
1977年。私はクリエイターを目指し、キャリアを積むためにファッション誌の表紙、大特集、連載ファッション講座のスタイリストをやっていた。朝も夜もない、果てる事のない忙しい日々が続いていた。
その日は早朝に編集部に到着。既に始まっていたモデルのヘアメイクの下地作りを見届けながら、ロケバスで湘南・葉山の海に向かう日だった。陽のいい内にテキパキと撮影は進行。14時には撮了し、みんなで遅いランチのパスタを食べてロケバスで帰路に着く。
走って10分くらい経つと皆車内のカーテンを閉め、眠りに着く。私はドア横のひとり席でウトウトしていた、その時だ。車内で音量を下げたFMラジオから、微かに弾むリズムの曲が流れてきた。途中から中性的声のヴォーカルがリズムに乗ってくる。私は思わずロケバスのドライバーに『この曲、何て曲?』と聞いた。ドライバーは申し訳なさそうに 『すみません。何回か聞いているんですが、曲名までは分かりません』と返す。曲の終わりにDJからのコメントはなく、直ぐ次の曲の紹介となった。
それから暫く心の隅に気になっていたが、忙しさもあって聴く偶然は滅多にない。ある時はFMを長時間録音していたが無駄な行為だった。
だが時に幸運もやってくる。お目当てを買いに行った大型CD店で流れていたのがこの曲だった。早速尋ねるとマイケル・フランクス【スリーピング・ジプシー】というアルバムのトラック6・アントニオの歌(虹を綴って)(アントニオ・カルロス・ジョビンに捧ぐ)というサブ・タイトルが付いている。
第三章 いつも《アントニオの歌》は心のビタミンだった。
その日の深夜、帰宅した私は買ったCDをそっちのけで《スリーピング・ジプシー》を繰り返し聞いた。この気鋭のミュージシャン達が捧ぐとしたアントニオ・カルロス・ジョビンは言わずと知れたボッサ・ノヴァの偉大な先駆者である。イパネマの娘、おいしい水、ア フエリィシダーチ、ディサフィナード他、現在でもライブハウスでシンガーが好んで歌う偉大な作曲家である。ブラジリアン音楽の道を創ったのだから、77年の才気豊かなミュージシャンがオマージュを捧げたのはごく自然な行為であろう。
マイケルの中性的な唱法、ブラジル音楽を基調としているのに妙に都会の香りがするヴォーカルは耳に残り、以来47年も経っても何故か聞いた当初のフレッシュさは色褪せることがない。チェット・ベイカーJAZZ、マイ・ファニー・ヴァレンタインもそうだが異彩の輝きは落ちない。
この独特のヴォーカルのシンプルなメロディ・ラインを強力なリズム・セクションとフォーン、ギターの噛み合わせが素晴らしく、この曲が何年経ってもまるでジョビン同様の輝きを持つ秘訣なのであろう。この時代のJAZZ、フュージョン界の実力者が一堂に会した奇跡とも言うべきアルバムである。
リリカルなキーボードのジョー・サンプル、ベースのウィルトン・フェルダー、人気ギターリスト・ラリー・カールトンは、フュージョン、JAZZ、ソウルをクロスさせ、新たな音楽ジャンルを創ったザ・クルセイダーズのメンバー。
パーカッションのラリー・バンカーはビル・エヴァンス・トリオのドラムス。ドラムスのジョン・グエリンやジョー・パルマ他、錚々たるパーカッション・メンバーがテンポの良いリズムを創る。
それに加えて、以降のJAZZ界をリード、君臨するデビッド・サンボーンとマイケル・ブレッカーの強力な2本のサックス。この曲を契機にサンボーンを聞きにNew Yorkへ良く通った。
振り返ってみれば、この凄いメンバーの結集と力を出し切ったプレーを思えば、永遠の傑作にならぬはずは無い。
マイケル・フランクスを人はAORを代表するボーカリストと称する。だが私はその一言で片付けたくない。クリエイティブなキラキラとした才と鋭い感性を持つ、稀有の音楽家であり、ひとつの時代を創ったその人だ。
こうしてJAZZ、ボッサノヴァ、ソウル、ファンキーなテイストを持つ、まるで随所が宝石のような曲は永遠に音楽史上に残る。
歌詞の一節にある『アントニオは砂漠を愛して、アントニオは雨に祈る⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯僕らは歌う 忘れてしまっていたこの歌を そして流れる音楽を 虹に溶け込む光のように⋯⋯⋯⋯』。この詞を優しく知的に歌うマイケルの名ヴォーカルもまた永遠に生き続ける。
後年、私はマイケル・フランクスのライブを聴く機会に恵まれた。77年時に較べ、一段と成熟感を増し、詩を詠むようにメローな唱法であった。 味わい深く心に沁むライブだったが、その都会的なセンスの良さはいささかも変わりは無かった。
その時にCDジャケットにサインしてくれたのがフォトである。文字はマイケルの繊細な人柄が出ている美しいサインだった。
第四章 2024。深夜のワーク・スタジオ。
深夜に帰宅すると、シャワーを浴び、今日の纏めと明日の準備をするのが定例になっている。仕事の前にドリップでコーヒーを淹れ、ひと息ついてオーディオのスイッチを入れる。
私のワーク・ルームは本、CD、レコード、映画DVDに溢れ、人から見れば趣味の部屋である。70年代からメディアに携わってきた職業上、当時から現在まで、これは!と選び抜いた雑誌を保持してある。それも編集の殊勲賞、技能賞、敢闘賞の角度から、私の感性で識別しコレクションしている。
ワーク・ルームは時としてクリエイティブの格闘の場であり、マイ・カフェであったり、JAZZバー、シアター、読書の場と変貌する。同時にコレクション毎に、タイム・スリップしたり、今そのものであったりする。不思議空間の居心地は良い。
今夜は酸味を抑えた浅煎りコーヒーをマグカップに注いだ。70年代、サンフランシスコ湾の海沿いダイナーに居る気分で雑誌をひろげる。
そうだ、マイケル・フランクスのシティ・ミュージックがピッタリだとCD棚に向かう。やっぱりこのメロディ・ラインとリズムは抜群に良い。
次のトレンドを想定して、私は一瞬にしてサンフランシスコ市の対岸、サウサリートの70年シーンに返る。あの時はこうだった、ここはこう変わるとベーシックの循環にピンが止まる。
音楽は良い。音楽は至福の源泉だ。そうマイケルが囁いているようである。
ヒコ・ウォーケン(YASUHIKO TAKAHASHI)
ライフスタイル デザイナー
プロフィール:
ファッション、流通マーケティング分析、企画、音楽プロデュース、映像、販促、メデイア情報、講演を駆使し、ライフ・スタイルデザインを軸に多くの企業コンサルティングに携わっている。独自の感性、レーダー力、分析力で唯一無二のビジネスに定評が集まる。特に自らの持論である『文化情報経済』は常に時代を先取し、ビジネス・トレンドを創造し続け、今にある。現在は日本版【クオリティー・オブ・ライフ】の創造発信と体験型ライフデザインに力を注ぎ、精度の高い時間創造を提起している。
マデイソンコンサルティング創業者。